25年前の韓国、大田万博こりごり体験、市内観光で生き生き体験

   第21回 初めての韓国・ソウル・大田の旅(1993年)

こんにちわ! 一平です。

第30回の節目に書こうと思っていた韓国旅行記ですが、2025年日本での万国博覧会開催が決まったと言うニュースが飛び込んできたので、急遽、繰り上げて書くことにした。第30回はヨーロッパか、台湾をテーマにします。さて21回目の今回のテーマは

25年前の韓国、大田万博こりごり体験、市内観光で生き生き体験」です。

昨日、2025年の大阪万博が決定したとのニュース。
日本での万博開催は05年の愛知万博以来、6回目となる。

嬉しいニュースだが、万博は国を挙げてのお祭りとなるだろうか。
経済、文化、技術の交流と言いながら、実際は国および開催都市、出展企業のPRの場のようである。
キーワードは「共創」らしいが、早くも大阪市中心部から夢洲への鉄道延伸の話が出ていることを考えれば、土木工事や数千万人の来場者を当て込んだ経済効果のためかもしれない。自治体にすれば、これを理由にいろいろなことが出来ることを狙っているのかもしれないし、議員さんにとっては、出番が増えると言うことかもしれない。

万博が始まった1800年代には、他国に行くことさえ不自由な時代。世界のさまざまな新しい技術や文化を、一か所で見ることのできる万博は貴重な存在だったと思う。
情報化がここまで進んだ現在に、万博の果たす役割は何ぞやと自問自答する。

さて話を旅行記に戻します。
一平は、大田万博が開催されていた1993年10月25日、ソウルで開催された第5回日韓合同分離技術シンポジウムへの参加をしました。
会議は、最初の3日間で、10月27日に終了し、28日から30日までが大田万博見学の予定でした。
帰国後、お互いに出席メンバー同士で、写真を送るのが習慣となっていました。
写真に同封していた手紙の控えとメモ帳から、25年前の韓国の印象を、ここに紹介したいと思います。

旅行・韓国・大田の町写真

写真ー1 大田の町・宿泊した儒城ホテルの部屋から(1993年10月29日)

拝啓
 ○○ 様、 その後お元気でいらっしゃいますか。
私にとって初めての韓国は、大変印象的でした。

多くの人、カラフルな服装、しかし何故かジーンズまたはズボン姿の多くの女性。
多くの車、強引な割り込みの車、喧嘩ごしの警笛。
片側7車線の広い道路、聞けば戦時には滑走路に変身するためだとか・・・

食卓の賑やかさ。韓定食、カルビ、ビビンバ、参鶏湯、アワビ粥、冷麺、キムチ、
湯と呼ばれるスープ類。いや、この辺りで止めにしよう。
美味しすぎると、日本ではホッペが落ちるだけだが、韓国では二人の内どちらかが殺されるそうだから・・・

甘いコーヒー、ぬるめのお茶には目をつぶる。
建物、店構え、雰囲気、道路標識、新聞記事構成、100ウオン500ウオンのコイン、
道行く人々の顔形にいたるまで、町に氾濫するハングル文字と、囁きかけているように聞こえる韓国語さえ除けば、日本にいるような錯覚にとらわれる不思議。
狭い道路にまでガードレールがつけば、まさに日本・・・

学卒初任給9万円、地下鉄一区間40円、コーヒー140~200円、背広1~2万円、特に安いタクシー料金。20分乗っても200円。
車はほとんどスピード違反と見たが、スピード違反は How much ?
左右に人がいないとみれば、赤信号でも、必ず無視して走る韓国の車。
田舎道の誰もいないところでも、信号守る日本人。

ソウルの街角や地下鉄の入り口で、ときどき出会う迷彩色服の軍人。
同姓同本同士の結婚禁止に、何か割り切れない思いが残りつつ、
新しい時代の息吹が感じられる高層ビル、アパート群、建設ラッシュの波に圧倒される。
日韓合同会議で知り合った若い技術者の真摯な態度、
金さんの「目配り、気配り、一生懸命」なガイド姿。
ソウルオリンピックに続く万国博覧会開催のパワー、

私の想像していた国とは大きく異なり、韓国は今、大きく変わりつつあることを実感。

3年後にもいや10年後にもまた訪れて、その変化の様子を見たいものだと思っています。
写真が出来上がりましたので同封いたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
                                敬具

旅行・韓国・万博会場(1)

写真ー2 大田万博会場(1)(1993年10月28日)
会場内のゴンドラに驚き

以上が一平の、初めての韓国旅行の印象です。
しかし、旅は誰もが経験しているように、突発のハプニングがあったほうが面白く、後々
楽しく思い出されるものです。その体験を紹介します。

会議が終了した翌日、1993年10月28日早朝、バスで万博会場の大田へ。
3日間も万国博覧会が堪能できるとあって、メンバーの皆が、期待に胸を膨らませていました。
人気はアメリカ館、フランス、イタリア館などですが、その他多くの国々が出展していました。

しかし人気のパビリオンは、2~3時間待ちで見学時間は2~3分程度。
疲れたので、腰かけたいと思っても、誰かが先に占拠して座るところもなし。
食べ物、飲み物も手に入らない。昼食を食べるのに夕方まで待つ元気もない。
トイレの長蛇の列には焦るばかりで、どうしようもない。
「どこかで・・・」と思ったが、こんなところで日本人の恥を晒すわけにはいかない。またそんな場所もない。

せっかく日本から来たのだ。1時間待ちでも日本館は見ておきたいので、しぶしぶ並ぶ。
日本館は、韓国・中国から伝来した過去の歴史、文化の紹介などが主テーマか。見せ場は、陶芸職人ロボットの展示。
待ち時間のないニュージーランド他4か国ほど見学。
人気のない館内はやはり、見るべきものはない。こんなはずではなかった。テレビで見るように、人気のパビリオンをすいすいと見られると思ったのが間違いのもと。

大田万博での驚きは、韓国のパワーと熱気と混雑のみ。

旅行・韓国・万博会場(2)

写真ー3 大田万博会場(2)(1993年10月28日)

一平と同僚は、その夜相談した。「万博はもうこりごりだ」明日は、観光タクシーを借り切って、大田の市内観光に切り替えようと。
翌朝、朝食時に別行動になることの了解を、皆に求めた。
ところがメンバー10数名全員が「俺も行く!万博は昨日で十分、俺たちも一緒に連れて行ってくれ」ときた。今日のバスは空っぽだ。「困ってしまった、ガイドさん」

2日間バスは貸切だが、この日の予定は、朝・夕の万博会場への送迎のみ。昼食は自前。
しかし、機転の利くガイドさん。
「急拠、万博見学は中止し、大田市内の観光に切り替えます。観光バスガイドは私の専門です」と。拍手喝采。全員賛成で決定。バスガイドが、ますます美人に見えた。
観光としては遅めの午前9時出発。

公州、宋山の古墳(百済時代の武寧王陵墓)見学 ➞ 国立公州博物館 ➞ 
扶余で昼食➞ 白馬江(落花岩)➞ 皐蘭寺 ➞ 国立扶余博物館 ➞ 17時終了

旅行・韓国・公州博物館前

写真ー4 公州博物館の前(1993年10月29日)
機転の利く、美人のガイドさん

この日の観光は国立博物館が主。公州、扶余博物館とも百済時代の遺物を展示している。
公州博物館は百済王・武寧王陵から出土した遺物とこの地域からの出土品を展示。
扶余博物館は百済の文化財や遺物を各地域から集めて展示していると聞いた。
扶余博物館は、別の場所から移転し、本年8月からオープンしたばかりで、中は少し暗かったが、きれいで落ち着いた雰囲気の博物館であった。

日本の飛鳥時代に大いに影響を及ぼしたと思われる展示物に、なんとなく親近感を覚えたことを記憶している。余談だが、丁度このとき日本から高松塚古墳壁画が貸し出され、展示されていた。色彩豊かな本物を見るチャンスを得て、ラッキーでした。

旅行・韓国・落花岩絶壁

写真ー5 落花岩絶壁
白村江の戦いで負けた百済の女官たち3000人が身投げしたと言われる落花岩

とにもかくにも、公州と扶余は、日本と関係の
深い百済の都がおかれた場所。
その百済の香り漂う街を散策した一日でした。
毎日の忙しい仕事に追われていた一平としては、
心休まる旅でした。

博物館はすべて無料。従って本日の観光ツアーの
追加料金は一切なし。
昼前から雨。10月の終わりというのに少し寒く、
参鶏湯は、美味しく体も温まった。
万博見学から市内観光への切り替えは大正解かも。
短い期間でしたが、予定外の観光で、より参加者
全員が、親しくなり和気あいあいとなったことが
最大の収穫でした。

予定外の観光を快く受け入れてくれたガイドさんと
運転手に感謝し、全員がカンパして土産をプレゼント。
ガイドさん、欲しかった腕時計のプレゼントに、
にっこり。
これで全員がハッピーとなりました。

10月30日、午前中大田市内を見学。土産物売り場
に立ち寄り、ソウルから夕方、帰国の途に就く。

以上、韓国ソウル・大田の旅行記でした。

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