第20回 初めての上海・杭州・蘇州・無錫の旅(1991年)
ブログを始めて約2か月半が経過した。女房殿曰く「釣りの話ばかりでは、肩が凝るわ!
世の中にはコーヒーブレイクもあることだし、たまには題材を変えてみたら」と。
一平は女房殿には頭が上がらない。時々鋭いことを言う。私のブログは1回1回が長くて硬くて、退屈なのかもしれない。
すると「あなたの文は、釣りより他の話が面白いよ」と今度は持ち上げられた。
これは頑張るしかないと心を決めた。釣りのサイトで全く別の話をするなんて聞いたことがないが、いつも急所を突かれるので今回も一平は、すなおに取り入れることにした。
そこで、今日のテーマは突然ですが、
「27年前の中国・上海・杭州等の懐かしい街・生き生き体験」です。
中国には合計で十数回ほど行ったことがありますが、27年前(1991年)は初めて中国を訪れた年です。
8年前に中国を訪れたのが最後ですが、その変貌ぶりはすざまじく、今や上海は東京よりも賑やかで、ビルが立ち並び、車が渋滞し、近代都市に生まれ変わっているのは皆さんご存知の通りです。
しかし、なぜか一平は1991年頃の上海や、蘇州、杭州、無錫の方が好きです。
なんだか、古き良き日本の雰囲気が漂い、一平の幼き頃を思い起こさせてくれるからです。
一平は、現役のころ濾過器、脱水機などの仕事をしていたことがあるので、その関係で
日本の濾過工学会の一員として、第1回の中国との学術交流会(1991年11月)に参加した。
帰国後、同行した人たちに写真を送るのが習慣となっていました。
その時、写真に同封していた手紙とメモ帳から当時の中国の印象を、ここに紹介したいと思います。
拝啓
○○ 様、その後お元気でいらっしゃいますか。
私にとって初めての中国は、大変印象的でした。
多くの人、多くの自転車、超満員の二両つなぎバス。
信号無視の人達、車の警笛。
食卓の多さ豊かさと、丸テーブルを囲んでの賑やかな食事。
しかし生ぬるいビールには閉口した。
路上で、犬や猫をほとんど見かけなかった。
中国人は、四つ足のものは机と椅子以外、何でも食べると聞いたが我々の食べた肉は如何。
職場での男女平等。視察で訪れた工場では、旋盤やクレーン操作の半数が、女性だった。女工さんの給料 100円/日には驚いた。
上海から杭州へ。
昔懐かしい田園風景、約200kmの間一度も山を見ず。広大な大地、中国を体感。
風光明媚な西湖、しかし、さすがに太湖(無錫)の濁水、濁湖には幻滅した。
工場見学すなわち土産物売り場、ときどき見かけた中国美人。
いつも演説最後の大声には驚かされた。腹に力を込め、威勢よくハッパをかけなければ、偉くなれないらしい。
月給200~250元(3000~4000円)、家賃50元(約700~800円)、
背広150~200元(2000~3000円)、バイク2,000元で給料の10倍、
スピード違反20元・・・ 但し袖の下有り。やはり自転車がお得です。
仕切りのない厠、毛生え薬101A、元気の出る男宝、朝鮮人参、ローヤルゼリー等、多種多様の薬。
しかし、最後は日本への土産で頭がいっぱい。
以前に奥さんに奮発して服を買って帰ったら、「中国製の服?」と言って、じろりと一瞥しただけで、一度も着てもらえなかったとY氏。
これはやめとこう。効能不明の薬もだめだな~
無かった髪の毛が急に生えるなんて信じられな~い。興味はあるが・・・
店先で「キラキラと光るネックレス」を売っている人。「ミヤゲ、ミヤゲ」と日本語でしきりに話しかけてくる。
「五千円、五千円!」というから「千円、千円!」と冷やかした。今度は「三千円、三千円!!」という。「だめ、だめ、千円、千円!!」と言ったら、にっこりとして「OK,900円ネ」ときた。
イヤ、参った!買わざるを得ない。「冷やかしだったと言う中国語は知らない」
まあ、いいか、それにしても憎めない。いろんな人がいるものだ。
明日は帰国。免税店に駆け込む。「自分もミヤゲ、ミヤゲです!」何かを買って帰らないと・・・やはり、刺繍、掛け軸、ハンコ、扇子、お茶の中から選ぶしかないようだ。
驚きは、数え上げればきりがありません。
3年後にも、いや10年後にも又訪れてその変化の様を見たいものだと思います。
遅くなりましたが写真が出来上がりましたので同封いたします。
今後ともよろしくご指導のほどお願い申し上げます。
敬具
以上が一平の「中国旅行記」の一部です。同様の体験をお持ちの方も多いのでは?
以下に、現在では見ることの出来ない町の様子を載せておきます。
写真はすでにネガはなく、アルバムの写真を写真撮影したので、鮮明でないのは我慢してください。
懐かしい風景
ブレイクタイムは以上です。次のブレイクタイムは、30回目を予定しています。
さて、21回目はウマズラハギの予定です。